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山口地方裁判所 平成7年(ワ)246号 判決 1999年8月24日

原告 A野二郎

<他3名>

右原告ら訴訟代理人弁護士 李博盛

同 山崎吉男

被告 山口県

右代表者知事 二井関成

右訴訟代理人弁護士 中山修身

同 弘田公

同 越智博

右指定代理人 徳吉敏雄

<他4名>

主文

一  被告は、原告A野二郎に対し金二四八九万一五五一円、原告A野太郎に対し金五一一万二四一八円、原告B山花子に対し金一〇五万円及び原告A野一郎に対し金一〇万五〇〇〇円、並びにこれらに対するいずれも平成六年九月二四日から各支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告らのその余の各請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを八分し、その一を被告の、その余を原告らの各負担とする。

四  この判決は、原告ら各勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一当事者の申立て

一  原告ら

1  被告は、原告A野二郎に対し金二億一四二三万八三六九円、原告A野太郎に対し金二一五六万二〇九二円、原告B山花子に対し金六〇〇万円、原告A野一郎に対し金五五〇万円、及びこれらに対するいずれも平成六年九月二四日から各支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告

1  原告らの各請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

3  敗訴の場合、仮執行を付するについては、その効力の発生を判決言渡しの日から一週間を経過した時点とするとともに、担保を条件とする仮執行免脱宣言を求める。

第二事案の概要及び争点

一  概要

本件は、平成六年九月二四日当時、原告A野二郎(以下、「原告二郎」という。)が所属していた山口県立華陵高等学校(以下、「華陵高校」という。)のホッケー部が、同県立西京高等学校(以下、「西京高校」という。)グランドにおいて開催された第八回山口県高等学校ホッケー選手権大会(以下、「本件大会」という。)の男子準決勝第二試合で、同県立鹿野高等学校(以下、「鹿野高校」という。)のホッケー部と試合(以下、「本件試合」という。)中に、同試合に出場していた同原告において、同校ホッケー部の選手がボールを打撃した際のスティックによる右こめかみへの直撃を受け(以下、「本件事故」という。)、これが原因で重度の後遺障害を負ったことにつき、いずれも被告の公務員である、華陵高校校長及び同校教諭ら、鹿野高校ホッケー部の顧問教諭、本件試合の審判員、同県高等学校体育連盟(以下、「高体連」という。)並びに本件大会の医務係であった西京高校養護教諭らに過失があるとして、同原告、その両親である原告A野太郎(以下、「原告太郎」という。)及びB山花子(以下、「原告花子」という。)並びに同二郎の兄である同A野一郎(以下、「原告一郎」という。)が被告に対し、主位的に国家賠償法一条一項の不法行為による損害賠償請求権に、予備的に債務不履行に基づく損害賠償請求権に、それぞれ基づき、原告二郎が被ったとする損害金二億九九二三万八三六九円、原告太郎が被ったとする損害金二四二〇万円、原告花子が被ったとする損害金一一〇〇万円、原告一郎が被ったとする損害金五五〇万円、及びこれらに対するいずれも本件事故の日である右同日から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求めて本訴を提起していたところ、その後、右各損害金を、前記第一、一1掲記のとおり、それぞれ減縮した事案である。

二  争いのない事実及び証拠上明らかな事実(なお、証拠の掲記のないものは前者である。)

1  当事者等

(一) 原告二郎(西暦一九七八年一月二一日生)は、平成五年四月、華陵高校に入学し、その後、同校教諭の髙﨑富夫(以下、「髙﨑教諭」という。)が顧問、実習助手の井上美幸(以下、「井上助手」という)が副顧問を務めるホッケー部に入部した(ただし、井上助手が右副顧問であることは、《証拠省略》により認める。)。

原告太郎は、同二郎の父、同花子はその母、同一郎はその兄である。

(二) 被告は、華陵高校を設置及び管理する地方公共団体であり、髙﨑教諭及び井上助手、鹿野高校ホッケー部顧問である藤井須生教諭、本件試合の審判員である森重祐輔教諭(審判長。以下、「森重教諭」という。)、栗田裕至教諭(以下、「栗田教諭」という。)、藤井美子教諭(以下、「藤井教諭」という。)、本件大会の医務係である西京高校小笠原鈴音養護教諭(以下、「小笠原養護教諭」という。)は、いずれも被告の公務員である。

(三) 高体連は、本件大会の主催者である。

2  本件事故の発生等

(一) 華陵高校ホッケー部は、平成六年九月二四日、髙﨑教諭及び井上助手の引率の下、本件大会に参加、出場した。

(二) 原告二郎は、右同日、本件試合に先発メンバーとして出場した。

本件試合は、右同日午後〇時二〇分に開始し、午後〇時五〇分に前半戦が終了後、五分間のハーフタイムを経て、午後〇時五五分に後半戦が開始し、午後一時二五分、華陵高校敗戦にて終了した。

(三) 本件試合の後半戦開始後約五分経過した右同日午後一時ころ、本件事故が起こったが、競技は、そのまま若干の間継続された後、ボールがラインを超えたことによるアウト・オブ・プレーを告げる審判員のホイッスルで中断した。

そして、その直後、本件試合の審判員である藤井教諭が、原告二郎の様子を確認するために近寄って話しかけたところ、同原告は、「大丈夫です。」と答え、試合再開後終了まで約二五分間プレーを続けた(右のうち、原告二郎が「大丈夫です。」と答えたことは、《証拠省略》により認める。)。

(四) 本件試合終了後、原告二郎は、井上助手に対し、右こめかみ部分を見せて、「湿布を下さい。」と告げたので、同助手において、同原告の頭の右側がこぶになっていることに気付き、藤井教諭に頼んで氷を持ってきてもらい、その氷を同原告の頭にあて、その後のミーティングに同原告を参加させた。

右ミーティング終了後、華陵高校の選手らは整理体操を終えたが、その後、キャプテンの生徒が、原告二郎の様子がおかしいと本部席にいた髙﨑教諭に伝えた(右のうち、「キャプテンの生徒が、原告二郎の様子がおかしい」という部分は、《証拠省略》により認める。)。

(五) 髙﨑教諭は、小笠原養護教諭に対し、「病院に連れていこうかと思う。」と告げたところ、同養護教諭は、「救急車を呼ぶほどのことではない。」と言い、病院に電話連絡をした上で、「近くの脳外科は休診だから、佐々木外科なら診てもらえる。」と指示した。そこで、髙﨑教諭は、右同日午後二時ころ、井上助手所有の自動車に原告二郎を乗せて、佐々木外科病院に向かった。

3  佐々木外科病院における診療経過

(一) 原告二郎は、佐々木外科病院に到着後の右同日午後二時二四分ころ、一人で診療室に入り、同病院医師から問診等の診察を受けた後、頭部のレントゲン撮影を受けた。

(二) 原告二郎は、右レントゲン撮影後、髙﨑教諭と共に診察室に入り、同病院医師から二枚のレントゲン写真を示されながら、「骨には異常はありません。」、「骨の内部の出血はないだろう。」、「骨と皮の間の出血で、いうならばタンコブだ。」、「非常に大きなタンコブなので相当痛がるだろう。」、「微熱が出てくるかもしれない、運動などせずに二、三日安静にしときなさい。」との症状の説明を受けた。原告二郎は、その後、佐々木外科病院指定の調剤薬局から薬が処方されると、直ちにその場で薬を服用した。

(三) 原告二郎が薬を飲んだ後、髙﨑教諭が車を玄関に回すと、同原告が車になかなか乗ろうとしなかったので、同教諭は、同原告にジュースを飲ませて落ち着かせた後、同原告を帰宅させるために車に乗せ、いったん西京高校に戻った。

4  自宅への搬送

(一) 髙﨑教諭及び原告二郎が西京高校に到着した後、井上助手は、同原告を自動車の助手席に乗せて、その肩書住所地にある同原告の自宅に送り届けるべく同高校を出発したが、途中で、同原告が車内で吐き始めたので、自動車を停めたりしながら、自宅方面へ向かった。

(二) 井上助手は、原告太郎が経営する飲食店裏側駐車場に到着後、原告花子に対し、「A野君(原告二郎)のお母さんですか。」と尋ね、「A野君を連れて戻りました。スティックが頭に当たったんです。」と告げ、「専門の病院に診せたらいいのでは。急いで戻らないといけませんので。」と告げ、自動車を運転して、華陵高校ホッケー部の宿泊先がある山口市に戻った。

5  原告二郎の受傷状況

原告二郎は、右同日午後五時五〇分、総合病院社会保険徳山中央病院(以下、「徳山中央病院」という。)脳神経外科医師による診察を受けたところ、その際のCT検査の結果、同原告には、右側頭骨の骨折線及び長径七センチメートル、短径四センチメートルの凸レンズ状の血腫が形成されていることが判明し、急性硬膜外血腫及び急性硬膜下血腫等と診断されたので、右医師は、同日午後六時四〇分、同原告に対し、右前頭側頭開頭、血栓除去術の術式による手術を実施した(以上は、《証拠省略》により認める。)。

三  争点

本件の争点は、

1  髙﨑教諭ないし井上助手に、華陵高校ホッケー部の生徒(以下、単に「生徒」という。)に対するホッケーの練習及び試合における指導に際し、生徒の負傷を予防・回避し、その生命・身体の安全を配慮すべき義務に違反した過失があるか、

2  華陵高校校長が、髙﨑教諭及び井上助手の生徒に対する指導につき、これを是正する指導監督措置を取らなかった過失があるか、

3  鹿島高校ホッケー部顧問が、同校ホッケー部の選手に対し、ラフプレーをやめるよう指導する義務に違反した過失があるか、

4  本件試合の審判員は、審判員としての専門的技能を高めることを怠り、本件試合における反則及びラフプレーを制止することなく放置した安全配慮義務違反の過失があるか、

5  高体連に、以下の過失があるか。

(一) 本件大会の主催者として、生徒の負傷を予防・回避し、その生命・身体の安全を配慮すべき義務を怠り、本件大会参加校へのルール指導や審判員への指導・注意事項の徹底を怠った過失があるか、

(二) 生徒の負傷事故に対する救急医療体制を事前に準備・確認すべき義務を怠った過失があるか、

(三) 本件事故への対応を引率の髙﨑教諭と井上助手に委ね、保護者への連絡を怠った点で過失があるか、

6  小笠原養護教諭は、本件大会開催当日の救急病院の事前確認を怠った上、原告二郎の負傷の程度を軽度のものと誤診し、救急車の手配をせず、かつ、専門病院の紹介をしなかったという過失があるか、

7  髙﨑教諭ないし井上助手に、本件事故後の処置につき以下の過失があるか。

(一) 本件事故により原告二郎が約一分間も倒れていたことから、負傷のため試合継続が困難であると判断して、速やかに選手交代の手続をとり、同原告の負傷状況を確認し、また、本件試合終了後も、右の負傷状況を確認し、その後の容態の変化を経過観察した上で、それに基づき、同原告の生命・身体に重篤な結果の発生があることを予見し、直ちに、同原告を、脳外科専門病院で受診させるか、救急車による病院への搬送をすべき義務があるにもかかわらず、かかる義務を怠った過失があるか、

(二) 髙﨑教諭が、佐々木外科病院における、原告二郎に対する診察の際、担当医師に対し、本件事故の状況、同原告のそれまでの健康状態、本件事故後の同原告の状態の変化等に関して、積極的に説明する義務があるにもかかわらず、自らは診察に立ち会わず、医師への説明をしなかったという過失があるか、

(三) 髙﨑教諭及び井上助手は、本件事故後、速やかに、原告二郎の保護者である原告太郎及び同花子に、本件事故のことを連絡し、その後における原告二郎の状況も逐次報告すべき義務があるのに、何らの連絡や報告もしなかったという過失があるか、

(四) 井上助手が、原告二郎をその自宅まで搬送する際、同原告の状態の変化を注意して観察し、症状に変化が現われた場合には、直ちに、同原告を脳外科専門病院で受診させるか、救急車による病院への搬送をすべき義務があるところ、かかる義務を怠り、漫然と同原告を自宅まで搬送したという過失があるか、

(五) 井上助手が、原告二郎の右自宅到着後、速やかに、同原告を保護者に引き渡し、本件事故内容や佐々木外科病院での診断内容、あるいは症状経過の説明等を報告する義務があるにもかかわらず、かかる義務を怠った過失があるか、

8  前記1ないし7につき、過失が認められる場合、原告らの被った損害額いかんというにある。

四  争点に対する当事者の主張

1  争点1について

(一) 原告らの主張

被告の公務員である髙﨑教諭及び井上助手は、生徒に対するホッケーの練習・試合における指導に際し、生徒の負傷を予防・回避し、その生命・身体の安全を第一に配慮すべき義務を負う。しかるに、髙﨑教諭及び井上助手は、本件試合の前半戦終了後のハーフタイム中に、原告二郎の同級生である生徒らから、対戦相手の鹿島高校の選手はファウルが多く、スティックで手や足を狙ってきたりするようなラフプレーが目立ち、危ないので、審判か鹿野高校ホッケー部の監督らに注意するように申し入れるべく要請されたにもかかわらず、何らの対応もしなかったのであり、この点で、右注意義務を怠った過失がある。

(二) 被告の主張

ファウルは、スポーツにルールがある以上不可避であり、スポーツに内在するものであるところ、本件試合において、異常なラフプレーはなく、通常のファウルしかなかった。また、反則行為に対する措置はすべて審判員の専権であり、これに対してアピールすることが法的義務とまでいうことはできず、しかも、高体連の主催する本件大会では抗議・異議の申立てが認められていなかったのであるから、原告らの主張は理由がない。

2  争点2について

(一) 原告らの主張

学校長は、学校運営を管理する者として、クラブ活動の指導担当教諭に適切な指導者が配置されているか、担当教諭の指導内容が適切か否かに配慮し、これらに不適切な点があれば、担当教諭に対して指導助言するなどしてより適切な措置をとるべき管理指導義務がある。しかるに、本件事故当時の華陵高校の校長は、同高校ホッケー部の顧問の人員配置に対する配慮を欠いていたこと、髙﨑教諭らの指導方法が試合優先、勝利至上主義に偏していたことに対する指導助言を怠ったこと、同教諭らに対して生徒の安全に関わる重要な事項を報告させていなかったこと、以上の点につき、右管理指導義務を怠った過失がある。

(二) 被告の主張

争う。

3  争点3について

(一) 原告らの主張

被告の公務員である鹿野高校ホッケー部顧問である森重教諭及び藤井須生教諭は、部員に対するホッケーの練習・試合における指導につき、生徒の負傷を予防・回避するため、対戦相手を含む生徒の生命・身体の安全を第一に配慮すべき義務を負っているところ、勝敗優先、試合優先の方針から、自校生徒のラフプレー及び反則行為を放置し、また助長する等して、対戦相手である華陵高校の生徒の生命・身体の安全を軽視し、もって、右義務を怠った点で過失がある。

(二) 被告の主張

右各鹿島高校教諭は、原告二郎の本件試合に出場させたわけではないし、同校は対戦相手でしかないから、右各教諭が同原告をその指揮監督下に置いたものではなく、したがって、右各教諭らに安全配慮義務違反はない。

4  争点4について

(一) 原告らの主張

被告の公務員である本件試合の審判長森重教諭、審判員栗田教諭及び同藤井教諭は、常日頃から審判員としての専門的技能を高めることはもとより、担当する試合の審判において、競技者の負傷を予防・回避するため、試合中の反則・ラフプレーに対して、これを看過することなく、厳正に対処することにより、競技者の生命・身体の安全を第一に配慮すべき義務を負っている。しかるに、右審判員らは、審判員としての専門的技能を高めることを怠り、かつ、本件試合における反則・ラフプレーを制止することなくこれを放置したことから、右義務を怠ったという過失がある。

(二) 被告の主張

本件試合当時、森重教諭はA級公認審判員(国際審判員及び国際試合の審判を行い得ると認められた者で、国内のすべての試合の審判を行うことができる。)、栗田教諭及び藤井教諭はC級審判員(試合の審判を行い得る者で、原則として所属する地方協会の審判を行う。)であり、いずれも、審判講習会を受講し、試験に合格して、審判員資格審査委員会の審査に基づき認定・指定されたレベルの高い審判員であり、かつ常日頃から専門的技能を高める努力をしているのであるから、原告の主張は理由がない。

5(一)  争点5(一)について

(1) 原告らの主張

高体連は、本件大会の主催者として、競技者の負傷を予防・回避するために、競技者の生命・身体の安全を第一に配慮すべき義務を負っているところ、かかる義務を怠り、勝敗優先、試合優先の方針から、本件大会参加校へのルール指導や審判員への指導・注意事項徹底を怠り、競技者の生命・身体の安全を軽視した点で過失がある。

(2) 被告の主張

高体連は、被告とは直接関係のない任意団体であって公権力行使の主体ではないから、何ら責任を負わない。

(二) 争点5(二)について

(1) 原告らの主張

高体連は、本件大会の主催者として、競技者の負傷事故が発生することを予見し、同事故に対する救急医療体制を事前に準備・確認すべき義務があるにもかかわらず、本件大会が開催されたのが土曜日と日曜日であって、病院等の休診が当然に予想され、より医療救急体制の準備・確認の必要性が高かった状況の中、右義務を怠った点で過失がある。

(2) 被告の主張

否認する。

(三) 争点5(三)について

(1) 原告らの主張

高体連は、本件大会の主催者として、競技者の負傷に責任をもって対応すべきであるにもかかわらず、原告二郎の負傷に対するそれを、引率の髙﨑教諭と井上助手に委ねたままであり、かつ、同原告の保護者への連絡も怠った点で過失がある。

(2) 被告の主張

否認する。

6  争点6について

(一) 原告らの主張

被告の公務員である小笠原養護教諭は、本件大会の医務係であるから、医療的専門知識に基づき、競技者の負傷に責任をもって対応すべき義務があるにもかかわらず、これを怠り、本件大会開催日の救急病院の事前確認をなさなかった上、原告二郎の負傷の程度を軽傷のものと誤診し、救急車の手配をすることなく、専門病院の紹介をしなかった点で過失がある。

(二) 被告の主張

否認する。

7(一)  争点7(一)について

(1) 原告らの主張

髙﨑教諭及び井上助手は、本件事故により原告二郎が約一分間も倒れていたのであるから、負傷のため本件試合に出場させることが困難であると判断して、速やかに選手交代の手続をとり、同原告の負傷状況を確認し、また、本件試合終了後も、同原告の負傷状況を確認してその後の容態の変化を経過観察し、右の負傷につきスティックで頭を打撃されたことによるものであることが判明したのであれば、当然に、同原告の生命・身体に重篤な結果の発生があることを予見し、直ちに、同原告を、脳外科専門病院で受診させるか、救急車による病院への搬送をすべき義務があるにもかかわらず、かかる義務を怠った過失がある。

(2) 被告の主張

原告二郎は、前記鹿野高校の選手や審判員である藤井教諭に対し、自発的に反応し、会話応答も良好明確で、意識障害もなく、その運動機能に何ら問題はなかったものであり、また、同原告において、交代の申出をすることなく、以後約二五分間にわたりプレーを行ったのであるから、その後の損害発生については、髙﨑教諭あるいは井上助手に予見可能性がなく、過失はない。

(二) 争点7(二)について

(1) 原告らの主張

髙﨑教諭は、佐々木外科病院における原告二郎の診察に際し、同病院医師に対し、本件事故の状況、同原告のそれまでの健康状態、本件事故後の同原告の状態の変化等に関して、積極的に説明する義務があったにもかかわらず、自らは診察に立ち会わず、医師への説明を十分にしなかったのであるから、かかる義務を怠った過失がある。

(2) 被告の主張

原告二郎は、本件事故当時一六歳の高校二年生であったことから、担当医師が診察をなすに際して必要となる自己の身体の状況や負傷状況等の問診事項について、自ら十分に説明することが可能であり、また、佐々木外科病院に到着後、自ら歩行して同病院内に入り、問診票にも自ら記入し、処置室にも自ら歩行して入るなど、担当医師の診察を受ける時点では、右説明を十分になし得る状態にあったから、髙﨑教諭につき、担当医師に対し、同原告の状況を積極的に説明しなければならない義務はない。

また、仮に、かかる義務があるとしても、髙﨑教諭は、原告二郎と共に処置室に入り、担当医師に対して、ホッケーの試合中に相手選手のスティックが頭に当たったこと、本件試合には最後まで出場したことなどの必要と思われる事項を補足説明しているのであり、後は、担当医師の専門的診察に委ねざるを得ないわけであるから、やはり、同教諭に過失はない。

(三) 争点7(三)について

(1) 原告らの主張

髙﨑教諭は、本件事故後、遅くとも、原告二郎が佐々木外科病院において問診票に自宅の連絡先を記載した本件事故当日の午後二時二〇分過ぎころには、原告太郎及び同花子に本件事故を連絡し、かつ、その後の状況も逐次報告する義務を負っていたにもかかわらず、かかる義務を怠り、右原告らに何らの連絡をしなかった点で過失がある。

また、井上助手も、原告二郎を自宅に搬送する途中、同原告の吐き気と嘔吐を現認した時点で、頭部負傷の事実と吐き気・嘔吐の事実を原告太郎及び同花子に報告すべきところ、これを怠った点で過失がある。

(2) 被告の主張

原告二郎は、本件事故後も、残り約二五分間をそれまでと変わりなく競技しており、本件試合後に、髙﨑教諭や小笠原養護教諭が同原告の負傷状況等を確認した時点でも、同原告に意識障害はなく、自発的に反応し、会話内容も良好明確で運動機能に何ら問題はなかった上、佐々木外科病院での診察の結果、同病院の担当医師が入院や脳外科専門病院での受診の必要性を認めず、同原告の自宅への搬送中も同原告の容態にさしたる変化は生じていなかったのであるから、髙﨑教諭及び井上助手に過失はない。

(四) 争点7(四)について

(1) 原告らの主張

井上助手は、原告二郎を自宅まで自動車に同乗させて搬送する間、同原告に対し、他の教諭や父母からの同原告への配慮が不可能な排他的な支配関係を作り出していたのであるから、同原告の状態の変化を注意して観察し、その症状に変化が現われた場合には、直ちに同原告を脳神経外科専門病院で受診させるか、救急車による病院への搬送を手配すべき高度の注意義務を負っていた。しかるに、井上助手は、同原告をその自宅まで搬送の途中、同原告が、次第に元気をなくし、かつ、車内で吐き始めるなど、容態を悪化させたにもかかわらず、右注意義務を怠り、漫然と同原告をその自宅まで搬送した点で過失がある。

(2) 被告の主張

井上助手が原告二郎をその自宅に搬送することになったのは、佐々木外科病院を受診させたところ、同病院の担当医師が、入院や脳外科専門病院での受診の必要性を認めず、かつ、血腫の拡大を推定させる頭蓋内圧亢進の症候である頭痛、悪心、嘔吐、意識障害、血圧上昇などについての説明をすることなく同原告を帰宅させたことによるものであり、したがって、同助手に、同原告の状態の変化を観察する義務は発生していない。

また、仮に、井上助手にかかる義務があったとしても、原告二郎は、昼食をとっていない状態で、処方された薬を飲んでいたことから、そのために気分が悪くなることがあり得る状態にあった上、右搬送の途中には、一回吐いたものの、それ以外には、同原告の状態に変化はなく、休憩後は吐き気も治まっていたのであるから、原告らが主張するような措置をとらなければならないほどにその容態の変化があったものとは認められず、本件事故で同原告に生じた障害への予見や具体的変化についての予見可能性はなく、同助手に過失はない。

(五) 争点7(五)について

(1) 原告らの主張

井上助手には、原告二郎の自宅に到着後、速やかに同原告を保護者に引き渡し、本件事故や診断の内容、同原告の症状経過の説明等を報告する義務があるにもかかわらず、かかる義務を怠った過失がある。

(2) 被告の主張

井上助手は、原告二郎の自宅に到着後、速やかに同原告を保護者に引き渡すとともに、本件事故や診断の内容等を報告しているのであるから、同助手に過失はない。

8  争点8について

(一) 原告らの主張

(1) 原告二郎の損害 二億九九二三万八三六九円

ア 逸失利益 一億三七〇九万一六九四円

(ア) 賃金センサス平成六年産業計・企業規模計男子労働者・大卒年収 六七四万〇八〇〇円

(イ) 新ホフマン係数 二〇・三三七六

(ウ) 労働能力喪失率 一〇〇%

(エ) 算式 六七四万〇八〇〇円×二〇・三三七六

イ 将来の介護費用 九九八四万四六五五円

(ア) 一日一万円、七七歳まで六〇年間

(イ) 新ホフマン係数 二七・三五四七

(ウ) 算式 一万円×三六五日×二七・三五四七

ウ 入院中の介護費用 四一四万円

(ア) 一日一万円、平成六年九月二四日から平成七年一一月一〇日までの入院期間 四一四日

(イ) 算式 一万円×四一四日

エ 山口労災病院入院中の介護のための交通費 五四万一〇二〇円

(ア) 一日七六二〇円、平成七年九月一日から同年一一月一〇日までの入院期間 七一日

(イ) 算式 七六二〇円×七一日

オ 入院雑費 六二万一〇〇〇円

(ア) 一日一五〇〇円、平成六年九月二四日から平成七年一一月一〇日までの入院期間 四一四日

(イ) 算式 一五〇〇円×四一四日

カ 慰謝料 三〇〇〇万円

キ 弁護士費用 二七〇〇万円

(2) 原告太郎の損害 三一五六万二〇九二円

ア 慰謝料 一〇〇〇万円

イ 家屋改造、介護用ベッド・福祉車両購入費 一九三六万二〇九二円

ウ 弁護士費用 二二〇万円

(3) 原告花子の損害 一一〇〇万円

ア 慰謝料 一〇〇〇万円

イ 弁護士費用 一〇〇万円

(4) 原告一郎の損害 五五〇万円

ア 慰謝料 五〇〇万円

イ 弁護士費用 五〇万円

(二) 被告の主張

(1) 逸失利益

原告二郎は、その逸失利益につき、大学卒業を前提に算定しているが、同原告が本件事故当時在学していた華陵高校の大学進学者は半数程度であるから、高校卒業を前提に算定すべきである。

また、基礎収入と中間利息の控除の関係については、東京方式(全平均とライプニッツ係数)と大阪方式(初任給固定とホフマン係数)のいずれかによるべきである。

(2) 将来の介護費用

日額一万円は高額に過ぎるものであり、二〇歳以降は障害基礎年金の受給権も発生するのであるから、これまでの裁判例に即して算定すべきである。

(3) 損益相殺

原告二郎は、本件事故に関し、特殊法人日本体育・学校健康センターから、別紙「A野二郎医療費支給額」のとおり、医療費二五一万一九三三円及び障害見舞金二二九〇万円の合計二五四一万一九三三円の給付を受けた。

(4) 弁済

原告らは、被告、佐々木外科病院を経営する医療法人社団曙会及び同病院医師二名を共同不法行為者として本訴請求をしていたが、原告らと右社団らとの間で裁判上の和解が成立し、これに従い、右社団らは、和解金一億〇〇一〇万円を弁済した。

第三争点に対する判断

一  経過

前記第二、二掲記の各事実に加えるに、《証拠省略》によれば(右各証拠上、左の認定に反する各部分は、信用性に乏しく、いずれも採用し得ない。)、以下の各事実が認められる。

1  当事者等

(一) 原告二郎(西暦一九七八年一月二一日生)は、平成五年四月、華陵高校に入学し、同年九月、同校の課外部活動の一であるところの、髙﨑教諭と井上助手が顧問を務めるホッケー部(昭和六二年四月設立、平成六年度の部員数・男子二九人)に入部した。

原告太郎は、同二郎の父、原告花子はその母、原告一郎はその兄である。

(二) 被告は、華陵高校を設置及び管理する地方公共団体であり、髙﨑教諭及び井上助手ほか前記第二、二1(二)に掲記の各教諭ないし養護教諭は、いずれも被告の公務員である。

2  本件事故に至る経緯

(一) 華陵高校ホッケー部は、平成六年九月二四日、髙﨑教諭及び井上助手の引率の下、高体連の主催する本件大会に参加出場した。

(二) 原告二郎は、右同日、本件試合に先発メンバーとして出場した。同原告の背番号は一一番で、ポジションは、五・三・二・一システム(五人のフォワード、三人のハーフ、二人のバックス、一人のキーパーで形成される戦術)のレフトウイング(攻撃用のポジションで、フォワードの最左翼のプレーヤー)であった。

本件試合は、右同日午後〇時二〇分に開始し、午後〇時五〇分に前半戦が終了し、五分間のハーフタイムを経て、午後〇時五五分に後半戦が開始し、午後一時二五分、〇対二で華陵高校の敗戦により終了した。

(三) 本件試合の前半戦において、鹿野高校の選手が華陵高校の選手に対し、斜め後からタックスした際、スティックで同選手の右太股を叩くなどの反則行為があったが、審判員である藤井教諭は、この際、教育的配慮の見地から、口頭による注意・警告を行うにとどめた。

そこで、華陵高校の生徒らは、ハーフタイムの間に、髙﨑教諭に対し、「審判員か鹿野高校監督に注意するよう申し入れて欲しい。」と要請したところ、同教諭は、その権限を持つ華陵高校ホッケー部のキャプテンの生徒に対し、審判にアピールするように指示した。

3  本件事故の発生等

(一) 本件事故は、本件試合の後半戦開始後約五分を経過した午後一時ころに発生したところ、その具体的な状況は明確ではない。もっとも、本件事故の直前直後の状況とその流れを目で追っていた藤井教諭の審判員としての合理的な推量に基づくと、同事故は、鹿野高校ホッケー部のライトハーフ(レフトウイングの攻撃的ポジションをマークして防御することを第一次的役割とするプレーヤー)の選手が、二五ヤードライン右端辺りから左側の華陵高校サークルトップ方向へセンタリング(ライトウイングなどが、シューティングサークル(バックライン(長さ一〇〇ヤード、幅六〇ヤードの長方形の競技フィールドの短辺)に向け、右から左にボールを打つなどして運び込むこと)するために、保持していたボールをスティック(ホッケーの試合で選手が使用する約一ヤード(九〇センチメートル)の木製の杖に似た道具)で打った際、原告二郎において、これを妨害するために、右鹿野高校の選手の左手側の背後から、スティックと自己の体を伸ばしてタックルしたため、右選手のフォロースルーの状態のスティックにより、同原告の右こめかみ部分が打撃されるというかっこうで発生したものと推察される(したがって、右認定と異なる甲第一〇号証は採用し得ない。)。

(二) 右打撃を受けた直後、原告二郎は、その場にしゃがみこんだが、右鹿野高校選手からの「大丈夫ですか。」との問いかけに対し、「大丈夫だ。」と返答し、審判員の藤井教諭も、その若干後のアウト・オブ・プレーまでの間、同原告の様子を確認するために近寄って話しかけたところ、同原告は、やはり、「大丈夫です。」と答え、また、見たところ、同原告には外傷や出血がなかったので、そのままプレーが再開され、同原告も、終了までの約二五分間、プレーを続けた。

なお、本件事故直後から右アウト・オブ・プレーまでの若干の間プレーが継続されたのは、右鹿野高校選手のセンタリングにより同校に有利な試合展開となっており、プレーを中断させると同校にとって不利となるので、アドバンテージをとったためであった。

(三) 原告二郎は、本件試合終了後、井上助手に対し、右こめかみ部分を見せて、「試合中、スティックで打った。湿布を下さい。」と告げたので、同助手は、同原告の右側のこめかみ付近がこぶになっていることに気付き、藤井教諭に頼んで氷を持ってきてもらい、その氷を入れたビニール袋を同原告に渡したところ、同原告は、それで右こめかみ付近を冷やしながら、その後、近くの駐車場で行われたミーティングに参加した。

右ミーティング終了後、髙﨑教諭と井上助手は、本部席に移動し、一方、華陵高校の生徒らは、ランニングと整理体操を行った後、グランド近くの駐車場で昼食を取っていたが、そのうち、原告二郎が生徒の一人に頭痛を訴えたことから、同生徒が本部席にいた髙﨑教諭にその旨を伝えた。

(四) 右の知らせを聞いた髙﨑教諭と井上助手が、小笠原養護教諭を伴って原告二郎のもとに赴いたところ、同原告は、膝を立てて仰向けに寝ており、右こめかみ付近を氷の入ったビニール袋で冷やしていた。そこで、髙﨑教諭が、「どうしたのか。」と尋ねたところ、同原告は、「相手のスティックが当たった。」と答えたことから、同教諭において「めまいがするか。」、「吐き気がするか。」、「耳が聞こえるか。」などと確認したところ、同原告は、いずれについても、しっかりした口調で、異常はない旨応答した。また、小笠原養護教諭も、同原告に対し、痛みの有無や耳ないし鼻からの出血の有無等を確認したところ、同原告が「頭が痛い。」と答えたので、さらに、同養護教諭において打った部位を触って確認したところ、右こめかみ付近がやや腫れている程度であり、同原告の目つきや顔つきも正常であった。

(五) しかし、髙﨑教諭や小笠原養護教諭は、原告二郎の打撲部位が頭部であったことから、医者の診察を受けさせた方が良いと判断した。そして、小笠原養護教諭において、休日でも診察してくれる確率が高いと考えて西京高校から一番近い佐々木外科病院に電話連絡をとった上で、髙﨑教諭に対し、「近くの脳外科は休診だが、佐々木外科なら診てもらえる。」と告げた。そこで、同教諭は、本件試合当日の午後二時ころ、井上助手所有の自動車に原告二郎を乗せて、佐々木外科病院に向かったが、同原告は、右車内で「気持ち悪い。」と訴えていた。

4  佐々木外科病院における診療経過

(一) 原告二郎と髙﨑教諭は、右同日午後二時二〇分ころ、佐々木外科病院に到着し、同原告において、同教諭に促されて自ら問診票を記載した後、午後二時二四分ころ、処置室に入り、まず、同病院の佐々木薫医師(以下、「佐々木医師」という。)から問診等の診察を受けたところ、その際、「スティックで頭を打って痛むんです。」と答えたが、佐々木医師はその状況が理解できなかった。そこで、一緒に処置室に入っていた髙﨑教諭は、佐々木医師に対し、「西京高校でホッケーの試合をしていたのですが、試合中に相手の持っていたスティックが頭に当たったんです。そのまま試合は最後まで続けたんですけどね。」と説明したが、同医師が、左のような診察を始めたところで、自らの判断により、いったん退室した。

佐々木医師は、原告二郎の右こめかみ付近を触診し、痛みの程度を確認したところ、皮下血腫による軽度腫脹(直径六、七センチメートル)、発赤及び圧痛を認め、また、同原告から、「気分が悪い。」との訴えの受けたが、顔面蒼白とか顔色不良といった様子はなく、四肢の運動・感覚障害(麻痺やしびれ)、眼球運動・瞳孔左右不同等の器質的障害を思わせる異常所見は認められなかった。

なお、佐々木医師は、髙﨑教諭が退室した後、原告二郎に対し、「頭痛が続いたり、吐き気が続いて食事も食べられないなら、地元で診てもらわないといけないよ。」と指示した。

(二) 佐々木医師は、X線検査室で、原告二郎の頭部のレントゲン撮影を正面と側面(左から右方向)の二方向から行い、右レントゲン撮影後、現像されたレントゲンフィルムを読影したところ、受傷部位である同原告の右側頭部にいくつかの蛇行気味の線条が認められた。しかし、佐々木医師は、これを中硬膜動脈の血管溝と判断した上で、原告二郎と髙﨑教諭に対し、右二枚のレントゲン写真を示して、「レントゲン写真上、骨折は認めないようです。打撲による皮下血腫、すなわち、皮膚と骨の間に出血してタンコブができた状態だと思います。できるだけ早く帰宅させて、まず安静にして様子を見て下さい。症状が治まっても、二、三日は運動したり動きまわったりしないでください。局所を冷やすと腫れがとれ易いかもしれません。痛み止め、腫れ止めの薬を処方しておきます。」と説明した。

なお、佐々木外科病院には、当時、CT検査の設備はなく、一方、MRI検査の設備はあったが、本件事故当日は検査技師が在院していなかったために、同原告に対し、右検査を施行しなかった。

原告二郎は、診察終了後、佐々木外科病院で処方箋を受け取り、同病院指定の調剤薬局で薬の処方を受けたが、その際、髙﨑教諭に対し、「頭が痛いので早く薬を飲みたい。」と言ったので、同教諭において、右薬が食後に服用するものであることは分かっていたが、右薬局の者に対し、「食事をとっていないがすぐに服用させてよいか。」と尋ねたところ、同人から、「気分が悪くなることがあるかもしれないが服用して構わない。」との説明を受けたので、同原告は、同所で水をもらって右処方された薬を服用した。

(三) 原告二郎が薬を飲んだ後、髙﨑教諭において、駐車場に車を取りに行き、戻ったところ、同原告が、薬局前にうずくまって頭部を非常に痛そうにしてて、車になかなか乗ろうとしなかった。そこで、髙﨑教諭は、原告二郎に対し、「どうしたのか。」と尋ねたところ、同原告が、「吐きそうだ。」と答えたので、右薬の影響ではないかと考え、同原告に、前記診察終了後に購入していたジュースを飲ませて気分を落ち着かせた。そして、髙﨑教諭は、原告二郎が依然頭部を痛がっていたものの、井上助手に同原告を自宅に送ってもらい、自らは、華陵高校の生徒を、当日の宿泊予定先にしていた山口市内の旅館に引率しようと考え、同原告を車に乗せ、いったん西京高校に戻った。

5  自宅への搬送

(一) 髙﨑教諭と原告二郎が右同日午後三時二〇分ころ西京高校に到着した後、同教諭において、井上助手に対し、佐々木医師からの前記4(二)の説明を伝えるとともに、前記薬局で処方された薬を渡し、同原告を自宅まで送ってくれるよう依頼した。そこで、井上助手は、右同日午後三時三〇分ころ、同原告を、自らの自動車の助手席に乗せて、その自宅に送り届けるべく、西京高校を出発した。

ところで、原告二郎は、井上助手の車に乗車後、寝たような姿勢を続けていたが、山口県新南陽市福川付近の国道二号線バイパスを通行中に、「気持ち悪い、吐きそうだ。」と吐き気を訴え、結局、車内で吐いたので、井上助手は、自動車を安全な場所に停車させ、一〇分間程度の休憩を取った。右休憩後、井上助手と原告二郎は、再び同原告の自宅に向けて出発したが、徳山市遠石辺りからは、井上助手において道順を知らないので、同原告がそれを教えたが、その際、同原告は、口が十分きけない状態となったので、身振り手振りを交えて案内した。

(二) 井上助手と原告二郎は、右同日午後五時前ころ、原告太郎が経営する徳山市内の飲食店に到着したところ、同助手において、その直後から同店の勝手口を何回か出入りする女性を眼にしても最初のうちはそれとわからなかったものの、やがて、原告二郎の言から、同女が原告花子であることに気付いたため、同原告に対し、「A野君(原告二郎)のお母さんですか。」と尋ね、「A野君を連れて戻りました。試合中に相手選手のスティックが頭に当たったんです。」と告げたところ、原告花子から、「気分が悪くなったら病院に連れて行った方がいいか。」と聞かれたので、「専門の病院に診せたらいいのでは。急いで戻らないといけませんので。」と答え、帰宅途中に一度吐いたことも告げた後、自動車を運転して、華陵高校生徒らの宿泊先に戻った。

(三) この間、原告太郎は、同二郎をおぶって右飲食店から一〇〇メートルくらい離れた自宅に連れ帰り、いったん薬を取りに右飲食店に戻った後の右同日午後五時三五分ころ、徳山中央病院に電話をかけ、「頭を打った子供が吐くから、今から一〇分くらいで連れていく。」と連絡をとった上で、再び自宅に戻ったところ、原告二郎は、汗をびっしょりかき、服を全部脱ぎ捨てており、声をかけても、「暑い。」とだけしか答えることができず、眼も焦点が合ってなく、容態が急変していたので、一一九番に連絡して救急車を呼び、徳山中央病院に搬送した。

6  徳山中央病院等における診察経過

(一) 原告二郎は、右同日午後五時五〇分、徳山中央病院脳神経外科医師の診察を受けたところ、同医師は、同原告を急性硬膜外血腫、急性硬膜下血腫等と診断した。また、その際における原告二郎は、瞳孔が三×三ミリメートル大になり、昏睡状態で全く反応がなく、自発呼吸があるのみの状態に陥っており、CT検査の結果によると、右側頭骨の骨折線及び長径七センチメートル、短径四センチメートルの凸レンズ状の血腫が形成されていたことがそれぞれ判明したので、右医師は、原告二郎に対し、同日午後六時四〇分、右前頭側頭開頭、血栓除去術の術式による手術を実施した。

(二) しかしながら、原告二郎は、右手術後も脳の腫れが続き、頭蓋骨が脳を圧迫するので、右医師は、同月二六日、右側頭部の頭蓋骨の一部を四角形に切り取り、左足の腿に埋め込む減圧開頭手術を実施したが、それでも、しばらくの間、同原告の意識は回復しなかった。

(三) その後、原告二郎は、意識を回復したが、四肢麻痺、精神機能低下、失語症、構音機能障害、右頭蓋骨欠損等の状態にあり、平成七年八月一〇日、身体障害者手帳(等級第一級)の交付を受け、同年九月一日、リハビリテーションのために徳山中央病院から山口労災病院に転院したが、その後の回復はほとんどなく、同年一一月一〇日、同病院医師から症状固定として機能回復の見込みなしと診断された。

二  判断

前記一で認定した各事実を踏まえ、以下、本件各争点について検討する。

1  争点1(髙﨑教諭ないし井上助手に、生徒に対するホッケーの練習及び試合における指導に際し、生徒の負傷を予防・回避し、その生命・身体の安全を配慮すべき義務に違反した過失があるか)について

一般に、課外クラブのクラブ活動であっても、それが学校の教育活動の一環として行われるものである以上、その実施については、顧問の教諭を始め学校側に、生徒を指導監督し事故の発生を未然に防止すべき一般的な注意義務があると解される(最高裁判所第二小法廷昭和五八年二月一八日判決・民集三七巻一号一〇一頁以下参照)。しかし、本件全証拠をもってしても、髙﨑教諭及び井上助手において、生徒に対し、ホッケーの正しいルールと指導を無視した指導をするなど右注意義務に違反する内容の指導をしていたとは認め難く、また、《証拠省略》によれば、本件試合については、前半戦も含め、特に反則行為が顕著であったようなことはなかったところ、仮に、相手チームにこれがあったからといって、高体連の主催する本件試合においては、前半戦終了後のハーフタイム中に、そのことに対して抗議を申し入れることは許されていないことが認められるので、右両名がこれをなさなかったとしても、そのことにより右両名に注意義務違反があったとも解し難い。

もっとも、原告二郎は、その本人尋問の結果中において、「華陵高校におけるホッケー部の練習の際、髙﨑教諭から、相手の背後からタックルにいく練習を繰り返しさせられた」旨供述している。しかし、弁論の全趣旨によれば、タックルは、ホッケー競技において、相手の攻撃を妨害する有効な手段の一つであり、この技術を高めることも、指導者としての役割の中に当然含まれると解されるところ、《証拠省略》によれば、同人らも、生徒らに対するホッケー指導の一環として、もとより反則行為にはならない範囲のタックルの練習をさせていたことが認められるのであり、仮に、かかる指導を受ける側の生徒らがある程度の危険意識をもったとしても、その指導方法はルールを無視した法外なものでない限り(本件全証拠によるも、かかる事由は認め難い。)、本質的にある程度の危険性を内在するホッケー競技の技量を向上させる過程では、右の指導をなすことも不可避的なものと思料される。

したがって、原告らの主張は理由がない。

2  争点2(華陵高校校長が、髙﨑教諭及び井上助手の生徒に対する指導につき、これを是正する指導監督措置を取らなかった過失があるか)について

前記1で認定したごとく、髙﨑教諭ないし井上助手に、華陵高校生徒に対する練習及び試合における指導内容ないし指導方法につき不適切な点があったとは認められないので、右両名が同校ホッケー部の顧問としての適格を欠くとの事情は存せず、したがって、右を前提とする同校校長に過失があるとの原告らの主張は理由がない。

3  争点3(鹿野高校ホッケー部顧問が、同校ホッケー部の選手に対し、ラフプレーをやめるよう指導する義務に違反した過失があるか)について

一般に、直接の契約関係にない当事者間においても、当事者の一方が事実上他方を自己の支配管理下におき、両者の間に指導監督関係ないしそれに準ずる特別な社会的接触関係がある場合は、右当事者の一方は他方に対し安全配慮義務を負う場合があるものと解される。ところで、本件全証拠によるも、本件試合において、鹿野高校ホッケー部の選手にラフプレー及び反則行為が目立ったと認め難いことは前記1で認定したところと同様である上、そもそも、同校ホッケー部は、原告二郎の所属する華陵高校ホッケー部の対戦相手にすぎなかったのであるから、鹿野高校ホッケー部の顧問教諭と対戦相手の華陵高校ホッケー部の選手との間に右のような関係を認めることができず、安全配慮義務の存在を肯定すべき前提を欠くといわざるを得ない。

したがって、安全配慮義務違反を理由とする原告らの主張は、理由がない。

4  争点4(本件試合の審判員は、審判員としての専門的技能を高めることを怠り、本件試合における反則及びラフプレーを制止することなく放置した安全配慮義務違反の過失があるか)について

(一) 前記第二、二1(二)掲記の争いのない事実に加えるに、《証拠省略》によれば、以下の各事実が認められる。

(1) 審判員の資格

我が国におけるホッケー競技の審判員資格は、社団法人日本ホッケー協会審判員規程に基づき同社団が認定・指定するところ、公認審判員は、その識見・技能に応じ、A級(国際審判員及び国際試合の審判を行いうると認めた者で、国内のすべての試合の審判を行うことができる。)、B級(公式試合の審判を行うに十分な識見・技能を有すると認められた者で、国内のすべての試合の審判を行うことができる。)及びC級(試合の審判を行いうる者で、原則として所属する地方協会の審判を行う。)に区分される。これらの資格は、審判講習会を受講し、試験に合格して、審判員資格審査委員会の審査に基づき認定・指定され、その後も、公式試合の審判を二年間に六回以上行わなければならないほか、講習会を受講して研鑽することとされている。

(2) ホッケーの試合における審判員の権能

ホッケーの試合は、二名の審判員で管理するところ、各審判員は、試合中エンドを変えることなしに、主としてフィールドの自分側半面の判定に責任を負い、規則に叶ったプレーがなされているかを判定して、罰則を科することができる。ただし、罰則を科することがかえって反則を冒した側のチームに利益を与える場合には、罰則の実施を控えることもできる(アドバンテージ)。

(3) 本件試合の審判員について

本件試合の審判は藤井教諭と栗田教諭であり、藤井教諭は本件事故発生側のフィールドを、栗田教諭はその反対側フィールドをそれぞれ担当した。審判長は森重教諭で、本件事故当時、本部席で全体の統轄をしていた。

藤井教諭は、昭和六二年に、栗田教諭は、平成四年に、それぞれC級審判員となり、いずれも本件事故の前年度の平成五年には各種講習会を受講するとともに、中国・四国地区で行われた四つの大会で審判員を務めた。また、森重教諭は、昭和五六年にA級公認審判員に認定され、同様に各種講習会の受講及び国際大会を含む各種大会で審判員を務めた。

(二)(1) 以上認定した各事実によれば、本件試合に臨んだ各審判員は、いずれもホッケー競技の審判員として十分な技能と経験を有し、日頃から専門的技能を高めるための研鑽も行ってきたものと認められる。

かくして、前記第三、一2(三)で認定したごとく、本件試合の前半戦において、鹿野高校の選手が華陵高校の選手に対し、斜め後ろからタックルした際、スティックで同選手の右太股を叩くなどの反則行為があったものと思われるにもかかわらず、審判員である藤井教諭が、これに対し、教育的配慮から口頭による注意・警告をなすにとどめたのも、前記二4(一)(2)で認定したところの、試合中の反則行為に対していかなる裁定をするかは審判員の裁量に属するというその権能に沿ったものというべきであり、したがって、右の処置をもってかかる裁量を逸脱したものとまでは認められない。

(2) ところで、乙第一九号証の一部及び証人髙﨑富夫の証言中には、本件試合において、華陵高校・鹿野高校ともスティックを振り回すようなファウルが多かったとの部分があるが、《証拠省略》によれば、そこまでとはいえず、また、仮にそれに近いようなことがあったとしても、初歩的な反則で特に注意を要するほどのものではなかったことが認められ、そうすると、これらが、審判員において警告ないし罰則を課さなければならないたぐいのものであったのか否かにつき明らかではないといわざるを得ない。加えるに、《証拠省略》によれば、本件大会は、実質的には秋の新人戦と同視できることから、審判員も、それに即した教育的配慮として、故意又はそれに近い明白な反則行為以外は警告ないし罰則を課さない方針で臨んだことが認められることをも伴せ考慮すると、右乙第一九号証の一部及び証人髙﨑富夫の証言中の当該部分をもって右認定を覆すに足りないというべきである。

よって、原告らの主張は理由がない。

5  争点5(一)ないし(三)(高体連の過失)について

《証拠省略》によれば、高体連は、高等学校における体育の普及振興を図り、もって高等学校生徒の心身の健全な発達に寄与することを目的として、高等学校体育の普及振興に関する事項についての審議、高等学校生徒の体育大会の開催その他の事業を行う学校体育団体であり、本件事故当時、山口県内の加盟高等学校九一校(県立高校七一校、市立高校一校、私立高校一九校)で組織されていること、その意思決定は評議員会(総会)、理事会及び専門委員会においてなされること、運営は事務局のほか三五の専門部によってなされること、被告を含む地方公共団体は、その活動に関して特別な配慮をし、必要な援助をすることができること、以上がそれぞれ認められる。

そして右に認定したところによれば、高体連は、被告から、その必要経費につき援助こそ受けられるものの、あくまで被告とは別個の任意団体であるから、被告の公務員であるとも履行補助者であるとも認められない。

よって、本件において、被告の過失の内容をなすものとして高体連の過失を指摘する原告らの各主張は、いずれもその前提を欠き、理由がない。

6  争点6(小笠原養護教諭は、本件大会開催日当日の救急病院の事前確認を怠った上、原告二郎の負傷の程度を軽度なものと誤診し、救急車の手配をせず、かつ、専門病院の紹介をしなかったという過失があるか)について

前記一3(四)及び(五)で認定した各事実並びに《証拠省略》によれば、小笠原養護教諭は、本件事故後、髙﨑教諭らと共に西京高校駐車場にいた原告二郎のもとに赴き、症状を確認したところ、同原告において頭の痛みを訴えたものの、それ以外に特段異常がみられなかったこと、その後、小笠原養護教諭において、土曜日である当日、脳外科専門病院は休診であったが、開業医は開業していることが多く、確実に診察を受けられる可能性が高いと考え、西京高校から近い佐々木外科病院に電話をしたこと、この間、同養護教諭は、患者に意識がない場合、呼吸困難な場合、大出血をしている場合、ショック状態となっている場合、骨折で変形がひどくて動かせない場合であればともかく、同原告の右症状からみて、救急車を呼ぶ必要はないと判断したこと、以上がそれぞれ認められる。

これによると、小笠原養護教諭の右判断や手配に、特段、手を抜いたところや不合理な点があったとまでは指摘し難い反面、本件の場合、全証拠によるも、同養護教諭において、本件事故当日の救急病院を事前に確認せず、また、救急車を呼ばず、あるいは、専門病院を紹介しなかったことが、原告二郎に係る損害の発生や拡大な原因をなしたものとは認められない。

したがって、小笠原養護教諭に過失があったとの原告らの主張は理由がない。

7(一)  争点7(一)(髙﨑教諭ないし井上助手は、本件事故により原告二郎が約一分間も倒れていたことから、負傷のため試合継続が困難であると判断して、速やかに選手交代の手続をとり、同原告の負傷状況を確認し、また、本件試合終了後も、右の負傷状況を確認し、その後の容態の変化を経過観察した上で、それに基づき、同原告の生命・身体に重篤な結果の発生があることを予見し、直ちに、同原告を、脳外科専門病院で受診させるか、救急車による病院への搬送をすべき義務があるにもかかわらず、かかる義務を怠った過失があるか)について

(1) 前記一3(二)で認定したところによれば、原告二郎は、本件事故発生直後、鹿野高校ホッケー部選手や藤井教諭からの問いかけに対し、自発的に反応し、会話応答も良好明確で、「大丈夫です。」と、以後における試合参加への意思を示し、本件試合の後半戦終了までの約二五分間、プレーを続行したことが認められる。

そして、かかる事実に照らせば、本件事故直後は、藤井教諭ほか近くにいた周囲の者からみても、原告二郎が試合継続の困難な状況に陥っているとは認識し得ない客観的状態であったのであるから、ましてや、本件事故が起きた際、華陵高校側のベンチにいた髙﨑教諭ないし井上助手が、かかる時点で選手交代の手続をとり、同原告の負傷状況を確認すべき注意義務があったとまでは認められない。

(2) また、前記一3(三)及び(四)で認定したごとく、本件試合後も、原告二郎には、西京高校の駐車場で頭痛を訴えるまでは特段異常がみられず、その際にも、他には特に異常を示していなかった上、会話応答も明確であったのであるから、髙﨑教諭ないし井上助手が、この時点で、同原告を脳外科専門病院で受診させず、救急車による病院への搬送をしなかったとしても、これをもって過失とは認められない。

(二) 争点7(二)(髙﨑教諭が、佐々木外科病院における、原告二郎に対する診察の際、担当医師に対し、本件事故の状況、同原告のそれまでの健康状態、本件事故後の同原告の状態の変化等に関して、積極的に説明する義務があるにもかかわらず、自らは診察に立ち会わず、医師への説明をしなかったという過失があるか)について

前記第二、二1(一)及び第三、一4(一)で認定したごとく、当時一六歳の高校二年生である原告二郎は、佐々木外科病院での診察の際、問診票への記載を含め、自ら、佐々木外科病院の質問に対し、本件事故の状況につき応答することができた状態であり、しかも、このとき同席していた髙﨑教諭も、同事故の状況につき補足して説明しているのである。したがって、それを超えて、さらに、同教諭において、華陵高校ホッケー部の顧問ないし引率者の立場であったことを考慮しても、なお、同医師から問われていないにもかかわらず、積極的に同原告の健康状態その他につき説明する義務があったとはいい難いので、この点に係る原告らの主張も理由がない。

(三) 争点7(三)(髙﨑教諭及び井上助手は、本件事故後、速やかに、原告二郎の保護者である原告太郎及び同花子に、本件事故のことを連絡し、その後における原告二郎の状況も逐次報告すべき義務があるのに、何らの連絡や報告もしなかったという過失があるか)について

(1) 前記1で認定したとおり、課外クラブの顧問教諭には、練習や試合において生ずるおそれのある危険から生徒を保護すべき一般的な注意義務を負っていると解されるところ、右クラブ活動における練習や試合中に生徒が事故に遭った場合に、当該教諭が、右義務の履行として、右事故に基づく身体障害の発生を防止するため、当該生徒の保護者に右事故の状況を通知して保護者の側からの対応措置を要請すべきか否かは、事故の種類・態様・予想される障害の種類・程度・事故後における生徒の行動・態度、生徒の年齢・判断能力等の諸事情を総合して判断すべきである(最高裁判所第二小法廷昭和六二年二月一三日判決・民集四一巻一号九五頁以下参照。なお、右判決は、小学校の体育の授業中の事故に関する判例であるが、右一般論は、本件のごとく高校生の課外クラブ活動の試合中における事故にも妥当するものと考える。)。

(2) これを本件についてみるに、前記一3及び4で認定したところに弁論の全趣旨を併せ考慮すると、本件事故は、木製のスティックが原告二郎の頭部右側こめかみ付近に当たったというものではあるが、同原告は、その直後特に異常を示さず、そのまま約二五分間プレーを続行したこと、本件試合終了後、髙﨑教諭や小笠原養護教諭が同原告の負傷状況を確認した時点でも、その右こめかみ付近がやや腫れており、頭痛を訴える以外は、同原告に格別変わったところはみられなかったのであるが、そうはいっても、髙﨑教諭は、その後、同原告を佐々木外科病院に搬送していること、同病院で診察を受けた結果、佐々木医師から同原告や髙﨑教諭に対してなされた症状や事後処置についての説明は、前記一4(二)で認定したとおり、同原告の生命・身体に重大な影響を来たすものとして受けとめられるほどに差し迫った危険性を含む内容ではなかったこと、右受診後、同原告は、吐き気を訴えているが、前記一4(二)及び(三)で認定したように、髙﨑教諭は、右吐き気を、処方を受けて飲んだ薬の影響と考えたこと、以上のごとく、本件事故直後から同原告が同病院で診察を受け、西京高校に戻るまでの間の経過につき認定判断することができる。そして、これに、前記一1(一)で認定したとおり、原告二郎は、本件事故当時、一六歳の高校二年生であり、もとより年齢相応の能力を備えていたということも照らし合わせると、右経過の中で、髙﨑教諭及び井上助手において、本件事故後、直ちに、同原告の右保護者である原告太郎及び同花子に、原告らが指摘するような連絡ないし報告をしなければならない義務はなかったものと認められる。

したがって、この点についての原告らの主張も理由がない(もっとも、前記一5(一)で認定したとおり、原告二郎が井上助手の車内で吐いた時点では、病院に搬送するとともに、同原告の保護者に対し、同原告の状況を連絡ないし報告する義務が発生したともいえるが、本件においては、後記(四)(2)ア(イ)で認定のとおり、井上助手に右搬送義務違反の過失が認められる以上、右報告義務違反まで取り上げることはないと考える。)。

(四) 争点7(四)(井上助手が、原告二郎をその自宅まで搬送する際、同原告の状態の変化を注意して観察し、症状に変化が現われた場合には、直ちに、同原告を脳外科専門病院で受診させるか、救急車による病院への搬送をすべき義務があるところ、かかる義務を怠り、漫然と同原告を自宅まで搬送したという点で過失があるか)について

前記一4及び5で認定した各事実によれば、原告二郎は、髙﨑教諭に伴われて、佐々木外科病院で佐々木医師の診察を受けた後、いったん西京高校まで戻り、その後、井上助手によって、徳山市内の自宅まで搬送されたことが認められる。そして、右の経過に照らした場合、井上助手に係る右過失の有無を判断するためには、その前提として、原告二郎に対する佐々木医師の診療上の処置がどのようなものであったのかということを看過し得ないので、以下、これを踏まえて検討する。

(1) 佐々木医師の診療上の処置について

ア 原告二郎の受傷

前記一6(一)で認定したところによれば、原告二郎は、ホッケーのスティックで頭部右側こめかみ付近を強打され、右頭蓋骨骨折、急性硬膜外血腫、急性硬膜下血腫の傷害を受けたことが認められる。

イ 頭部外傷に関する医学的知見

《証拠省略》によれば、頭部外傷に関する医学的知見は、以下のとおりと認められる。

(ア) 頭部外傷には、局所的損傷(一次的損傷)に加え、脳浮腫(血管外水分の増加)、脳腫脹(脳血液量の増加)、脳ヘルニアなどの二次的脳損傷が程度の差はあれ合併し、かかる二次的損傷は組織の虚血、低酸素症によって悪化する。よって、初期の診療ないし検査の過程において、頭蓋内圧の亢進・二次的脳損傷の悪化を防ぐことを要する。

初期の診療ないし検査においては、通常の診察に加え、意識水準及び合併損傷の把握が重要であり、骨折の有無を鑑別し、それにより血腫形成の機序有無を予想するための頭部単純X線撮影は、少なくとも、前後像、左右側面像、タウン像(後頭像)の三方向を得ることを要する。特に、頭部外傷の急患に対してはできるだけ多くの情報を得ることを要し、そのためには、頭部単純撮影を必要以上に制限することは不適切である。

(イ) 血腫は、部位によって、硬膜外血腫、硬膜下血腫、脳内血腫、脳室内出血等に分類され、受傷から三日以内のものを急性血腫とされる。かかる血腫は、受傷直後から始まることが多く、通常は初診時のCTで血腫が判明し、それが相当量に達していれば緊急手術となるが、血腫が小さい場合や血腫が認められない場合であっても注意を要し、特に、硬膜外血腫は、のちに増大する例や、初回CT以降に発生する例も少なくないので(《証拠省略》によれば、初診時のCTでは血腫を認めず、再検CTで血腫が発生していた一八例のうち、一三例は、受傷後一〇時間以内に発生している。)、創や骨折線の有無・性状を把握し、受傷後少なくとも数時間は神経学的所見を注意深く観察し、臨機応変にCT検査を繰り返すことが肝要である。

(ウ) 急性硬膜外血腫とは、硬膜と頭蓋骨内面の間に貯留する血腫で、原則として打撲部(骨折部)に発生する。一般的には、外傷直接、意識障害があっても、一時的脳損傷を伴わないので、意識は回復するが(意識清明期)、血腫増大につれて、意識レベルの低下、頭蓋内圧亢進症候(頭痛、悪心、嘔吐)、瞳孔不同などが出現する。意識清明期は約四〇パーセントにみられ、受傷後六時間以内のことが多いが、受傷直後から意識障害をきたすのは三〇ないし四〇パーセントにみられ、外傷性頭蓋内血腫の患者には、容態の急変がみられる。

診断については、受傷機転、頸部軟部組織の損傷の状態、意識障害の現れ方での意識清明期の存在などから、硬膜外血腫は十分に疑え、頭蓋単純X線写真において中硬膜動脈血管溝や静脈洞部を横切る骨折線がみられる所見と単純CTによる硬膜外―頭蓋骨内面の高吸収値を示す凸レンズ状の血腫がとらえられれば、確定診断となる。

なお、骨折は成人の八五ないし九〇パーセントにみられ、単純な一側の線状骨折が多いが、若年者では、成年に比べ骨折の証明ができないことが多いとされている。

治療は、原則として、開頭術による血腫除去と出血痕の確認、止血をする緊争手術を要し、意識清明期のあるものは、時期を失せず手術的に血腫除去をすれば、優れた治療効果が期待できる。

(エ) 急性硬膜外血腫とは、硬膜とクモ膜の間に生じた血腫をいい、受傷直後より意識障害が持続することが多く、意識清明期をみるのは二〇パーセント以下である。

診断については、受傷機転、軟部組織損傷の状況、意識障害の出現と経過に加え、神経症状より頭蓋内血腫で脳損傷が合併していることを知ることが第一歩であり、単純X線撮影で、骨折は五〇パーセントないし七五パーセントにみられる。また、単純CTで頭蓋骨の内面に接して、ほとんど半球全体を覆う三日月状の高吸収値を示す血腫を認めることが確定診断となり、血腫の内面での脳挫傷の状況も診断することが可能となる。さらに、MRIではより明確な像を得ることができ、診断可能となる。

治療は、硬膜外血腫と同様、開頭術による血腫除去術を緊急手術として実施するのが原則である。予後は、時期を失することなく、開頭、血腫除去、減圧、術後の脳挫傷に準ずる保存療法を加えても、死亡率は約五〇パーセントである。

ウ 佐々木医師の診療上の処置について

(ア) 右で認定した医学的知見を前提にして、前記一4(一)、(二)及び6で認定した各事実に基づき検討するに、佐々木医師が、原告二郎を診察した時点では、前記一6(一)で認定した徳山中央病院で診断された症状のうちの急性硬膜外血腫が生じていたかはともかく、同原告の頭部には、既に、少なくとも急性硬膜外血腫が形成されていたものと推認されるところ、同医師は、診察を始めるに当たり、原告ないし髙﨑教諭からスティックが側頭部付近に当たったとの説明を受けていたのであるから、これにより、同原告の頭部に線状骨折や急性硬膜外血腫が形成され拡大してゆくことを予見し得たものといえる。しかしながら、佐々木医師は、原告二郎ないし髙﨑教諭に対し、受傷直後の同原告の状態や意識障害の有無、頭痛、嘔吐の有無などにつき十分な問診を尽くしていなかったところ、同医師において、かかる十分な問診を行っていれば、同原告の頭蓋内圧亢進徴候を看過することはなかったといえる。また、佐々木医師は、原告二郎に対するレントゲン写真の撮影に当たり、正面と側面(左から右方向)の二方向からしか撮影していなかったため、結果的に同原告の右頭部線状骨折を看過したが、前記二7(四)(1)イ(ア)で認定したごとく、少なくともこれを三方向から撮影していれば、右骨折を発見できた可能性は否定し得ないところである。この点につき、《証拠省略》によれば、佐々木医師は、レントゲン写真の所見が骨折といえるか否かその鑑別に悩んだ旨供述しているが、そうであれば、なおさら、その時点で、原告二郎に対し、再度のレントゲン写真撮影を行うことにより多方向からの影像を得たり、頭部MRI検査を実施することにより、右骨折の有無・程度を確認すべきであったし、後記(イ)で認定するところによれば、かかる処置も可能であったといえる。

さらに、右の手立てを講じても、佐々木医師において、レントゲン写真等により右骨折を発見できなかったとしても、同医師による診療は、原告二郎が受傷した後、急性硬膜外血腫の発生を否定し難い段階において行われていたのであるから、より子細な問診や診察をなしていれば、血腫発生を疑うべき徴候が認められたはずであり、そうであるならば、同医師としては、同原告の症状を経過観察し、事態が急変するようであれば、緊急に適宜の処置を取るべく、同原告を帰宅させず、そのまま佐々木病院に入院させるべきであったといえる。

以上によれば、佐々木医師は、原告二郎ないし髙﨑教諭に対する十分な問診と必要かつ十分な方法による頭部レントゲン写真の撮影を怠ったことで、同原告の頭部の線状骨折を見落とし、また、頭部MRI検査を実施しなかったことで、同原告の頭部に既に形成されていた血腫の発見ができず、その上に、右の経過観察等をせずに同原告を帰宅させたという点で、同原告に対する診療上の処置に不適切な点があったものといわざるを得ない。

(イ) これに対し、《証拠省略》によれば、佐々木外科病院には、CT検査のための装置がなく、また、MRI検査についてはこれがあるものの、前記診察当日は、その検査技師が不在であったこと、さらに、右当日夕刻には、同病院に入院中の骨折患者の手術が予定されていたことがそれぞれ認められるが、これらのことを前提としても、《証拠省略》によれば、緊急の必要性があれば、最寄りの済生会山口総合病院ないし総合病院山口赤十字病院の脳神経外科での受診を勧め、これらの施設で右各検査を受けさせる等の処置も可能であったものと認められることに照らせば、右事情をもって、前記(ア)の認定を覆すには足りないところである。

(2) 井上助手の過失の有無

前記(1)で認定したとおり、本件の場合、佐々木医師のなした診療上の処置に十分でないところがあり、したがって、また、同医師の原告二郎及び髙﨑教諭に対する前記一4(二)掲記の症状ないし事後の措置に関する説明・指示も同様であったといえる。そこで、かかる説明を髙﨑教諭から聞いた上で、原告二郎を西京高校からその自宅まで搬送した井上助手に過失があったといえるか否かにつき検討する。

ア(ア) 本件のごとき、課外のクラブ活動における顧問の教諭等には、既に指摘したところの生徒を指導監督し事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるとともに、不幸にしていったん事故が発生した場合は、それによる被害の発生又は拡大を阻止しなければならないという事後措置義務をも負っており、当該教諭等がかかる措置を怠った場合には、学校の設置管理者は、過失責任を負うべきものと解される。

(イ) そこで検討するに、前記一5(一)ないし(三)で認定したとおり、原告二郎は、車内では寝たような姿勢を続けていた上、山口県新南陽市福川付近の国道二号線バイパスを通行中に、「気持ち悪い、吐きそうだ。」と吐き気を訴えた後、車内で吐いたため、一〇分間程度の休憩を取った後、再び自宅に向かう途中、井上助手に対し道順を教えるのに、口では十分な説明ができないような状態となっており、前記飲食店に到着後は、自力で歩くことができなかったこと、他方、井上助手自身も、同所で対応した原告花子に対し、「もう一度専門の病院に診てもらった方がよいのでは」と言うなど、同原告の症状が悪化した可能性を自認していたことが認められる。

ところで、《証拠省略》によれば、井上助手は、学生及び社会人時代を通じてホッケーの選手として活躍し、ホッケーの競技内容、スティックの形状等に精通していたと認められるところ、右証言により、本件事故前の平成四年五月八日ころ、同助手らを含む各山口県立高等学校の運動部指導関係者に配付され、同助手も眼を通していたと認められる。「運動部活動等に伴う頭部打撲による意識障害の対応について」中の「頭のけが」には、「結局頭のけがは、脳の損傷の程度が問題なので、脳に損傷があれば、意識不明、嘔吐、けいれんなどの症状が出てくるので、注意深く観察すること、患者はできるだけ脳外科のある総合病院へ」との記載と共に、「急性硬膜外(上)血腫」の説明欄に、「しばらく気を失ったあと正常にもどり、数時間から数日後にしだいに意識不明になる。」、「打った直後は意識が正常なこともある。」、「意識障害とともに嘔吐やけいれんを繰り返す。」との記載があることにも照らせば、同助手は、本件事故当時、頭部打撲による意識障害について全くの素人ではなく、ホッケー部の顧問として備えておかなければならない程度の知識は有していたものと認められる。

そうすると、前記第二、二2(四)並びに第三、一3(三)ないし(五)及び5(一)で認定したところに照らし、原告二郎の受傷部位が身体の枢要部である頭部であると認識していたことが明らかな井上助手としては、同原告が車内で吐いた時点で、それが頭蓋内圧亢進徴候であるとの医学的判断はできないにしても、少なくとも、頭部打撲に起因する症状悪化の徴候ではないかということに考えを及ぼし、速やかに専門医に搬送するなどの処置をとるべきであったし、また、本件全証拠によるもそれをなすことが不可能あるいは困難であったとは認められないのであり、このようにみた場合、同助手において、髙﨑教諭を介して伝えられていた同原告の症状やそれに対する事後の処置についての佐々木医師の説明・指示に従っていたことをもって、右の処置をとらなかったことの弁解にはなり得ないと解される。

かくして、前記一5及び6で認定した各事実並びに《証拠省略》によれば、原告二郎が車内で吐いた時点で、井上助手において、直ちに右処置をとっていれば、一時間程度は早く、同原告を本件搬送先の徳山中央病院へ搬送することも可能であったとみられるにもかかわらず、そのようにしなかったことについては、同助手に、前示指摘したところの、本件事故によって同原告の頭部に生じた損傷による被害の拡大を阻止しなければならないという事後措置義務を怠ったものとして、過失があるといわざるを得ない。

(ウ) 右認定に対しては、前記一4(二)及び(三)で認定したとおり、佐々木外科病院での受診直後、原告二郎は食事をとらない状態で処方された薬を服用しているところ、このような場合、服用者の気分が悪くなることもあること、また、井上助手は、同原告が平素乗り物酔いをしていたから、本件の場合もそうであると思った旨証言していること、以上のごとき相反するような各事由が存する。

しかし、前者については、本件全証拠をもってしても、同原告の搬送前に、井上助手において、髙﨑教諭から、右薬の作用を聞いていたとは認められないこと、後者については、一方で、同原告は、その本人尋問の結果中においてこれを否定している上、他に右証言に沿う証拠もないこと、以上のごとく指摘されることから、右各事由をもって右認定を覆すに足りる事情とはなし難い。

イ 如上のとおり、被告の公務員である井上助手には前記過失が認められるので、前記7(三)(2)で指摘したとおり、争点7(五)について判断するまでもなく、被告は、国家賠償法一条一項に基づき、本件事故によって原告二郎の頭部に生じた損傷による被害を拡大・助長させたという関係において、原告らに対し、損害賠償義務を負うというべきである。そして、かかる意味で、井上助手の過失と損害との相当因果関係を肯定し得る以上、被告は原則として原告らの被った損害全体につき賠償義務を負うべきである。しかしながら、損害の負担については、その公平な分担という見地に照らし、信義則上右の原則を修正すべき場合は、例外として損害賠償責任の範囲を限定するのが相当である。

そして、これを本件についてみるに、井上助手の過失内容は、前記7(四)(2)アで認定したとおりであるところ、原告二郎が、前記一6で認定したような重大な状態に陥ったことについては、同助手の右過失に先行するところの前記二7(四)(1)で認定した佐々木医師の診療上の処置の際における不適切な点が既にくみしていたこと、これと対比した場合、同助手の右過失内容は、同原告が右状態となった原因自体にではなく、その結果の拡大・助長を回避する義務を怠ったという局面で問題とされるものであること、同助手が、右義務を尽くさなかったのは、前記一4(二)で認定したような同原告を診察した直後における同医師の同原告と髙﨑教諭に対する不適切な説明が前提となっていたこと、また、もとより、同助手に医学的な知識はなかったこと、以上のごとく指摘し得るのであり、これらの諸事情を考慮すると、被告の負担する右損害賠償義務は、原告らの被った各損害のうちのそれぞれ二割の範囲にとどまるとみるのが相当である。

そこで、以下、右各損害について検討する。

8  争点8(被告の過失が認められる場合、原告らの被った損害額いかん)について

(一) 原告二郎の損害

(1) 逸失利益 八八八三万四三九二円

ア 前記一6で認定したところに加えるに、《証拠省略》によれば、原告二郎は、徳山中央病院で手術を受けた後意識を回復したが、四肢麻痺、精神機能低下、失語症、構音機能障害、右頭蓋骨欠損等の状態にあり、平成七年八月一〇日、身体障害者手帳(等級第一級)の交付を受け、同年九月一日、リハビリテーションのために同病院から山口労災病院に転院したが、その後の回復はほとんどなく、同年一一月一〇日、同病院医師から症状固定として機能回復の見込みはないと診断されたこと、同原告は、現在、片言で話をしたり、字を書いたり、物事を理解するなど意思の疎通はある程度可能となっているが、四肢は不自由なままの状態であり、入浴や排泄の世話等、日常生活を送るについては、周囲の不断の介護が必要であること、以上の各事実を認めることができる。

イ 右に認定したところに照らすと、原告二郎の労働能力喪失率は一〇〇パーセントであると認めるのが相当であるところ、同原告(本件事故当時一六歳)は、一八歳から六七歳までの四九年間就労可能と解され、その間少なくとも、毎年五三九万〇六〇〇円(当裁判所に顕著である平成九年度賃金センサス第一巻第一表の「産業計、企業規模計、男子労働者高卒平均賃金」、なお一円未満は切り捨てる。以下同じ。)の収入を取得することができたにもかかわらず、これを全部喪失したものと認められるから、右額を基礎として、ライプニッツ方式により中間利息を控除して、得べかりし現価を計算すると、次のとおり八八八三万四三九二円となる。

(計算式)

五三九万〇六〇〇円×(一八・三三八九-一・八五九四)=八八八三万四三九二円

これに対し、原告らは、右逸失利益を算定するに当たっては、男子労働者の大卒平均賃金を基礎にすべきと主張するが、《証拠省略》に照らした場合、原告二郎が大学教育を受けることになったか否かはいまだ不確定であったといわざるを得ず、したがって、右主張はにわかに認め難い。

(2) 介護費 三四一六万四三六〇円

前記二8(1)アで認定した原告二郎の現状に照らすと、同原告については、今日に至るまではもちろん、今後死亡するまで、生涯にわたり全面的に介護を要するものと認められるところ、その要介護期間は、同原告の本件受傷時における年齢である一六歳と同年齢の者の平均余命期間(当裁判所に顕著な平成九年簡易生命表によることとする。)である七七年に一致するとみるのが相当である。そして、同原告二郎の右介護料は、介護の開始時点から年に一八〇万円の介護料を要すると認めるのが相当であるので、かかる金額を基礎として、ライプニッツ方式により中間利息を控除して右要介護期間の介護料相当額の本件事故当時における現価を求めると、次のとおり三四一六万四三六〇円となる。

(計算式)

一八〇万円×一八・九八〇二=三四一六万四三六〇円

(3) 慰謝料 二〇〇〇万円

前記一6(三)及び二8(一)(1)アで認定した各事実によれば、原告二郎は、本件事故により重度の障害を負った結果、社会生活能力のほとんどの部分が失われたのであり、これに照らすと、その精神的苦痛は多大なものであると認められる。

よって、原告二郎の被った右精神的苦痛に対する慰謝料は、二〇〇〇万円をもって相当と認める。

(4) 山口労災病院入院中の介護のための交通費 三五万一四四〇円

《証拠省略》によれば、原告二郎は、平成七年九月一日から同年一一月一〇日までの間、小野田市にある山口労災病院に入院していたところ、その間、原告花子が介護のために徳山市の自宅から通院した際、合計三五万一四四〇円の交通費を支出したものと認められるので、これをもって本件事故と相当因果関係の範囲内にある損害と認める(原告太郎本人尋問の結果中には、同原告も介護のために右病院に通院したとの部分があるが、これに沿う客観的かつ具体的な証拠がないので、同原告に係る右交通費はこれを認めることができない。)。

(5) 入院雑費 六一万九五〇〇円

前記一6で認定した事実に加えるに、《証拠省略》によれば、原告二郎は、本件事故当日の平成六年九月二四日から平成七年九月一日まで徳山中央病院に、同日から同年一一月一〇日まで山口労災病院にそれぞれ入院していたことが認められるので、その間の四一三日間は入院雑費を要したと認められる。そして、かかる入院雑費は、弁論の全趣旨により、一日一五〇〇円と認めるのが相当であるので、合計六一万九五〇〇円となる。

(計算式)

一五〇〇円×四一三日=六一万九五〇〇円

(6) 合計 一億四三九六万九六九二円

(二) 原告太郎及び同花子の損害

(1) 家屋改造、介護用ベッド及び福祉車両各購入費(原告太郎分) 一九三六万二〇九二円

《証拠省略》によれば、原告太郎は、同二郎が車椅子を使って家屋内を通られるようにするなど、その移動や介護を容易にするために、家屋改造費として合計一五九九万六二二〇円、介護用ベッド一式の購入費として四六万五八七二円、福祉車両購入費として二九〇万円の合計一九三六万二〇九二円を支出したことが認められるところ、これらは、本件事故と相当因果関係の範囲内にある損害と認める。

(2) 慰謝料(原告太郎及び同花子両名分) 各五〇〇万円

原告太郎及び同花子は、同二郎の父母として、将来にわたり同原告に対する全面的な介護を余儀なくされるのであり、前記二8(一)(1)アで認定した同原告の状況について心痛することともあいまって、その精神的苦痛もまた多大なものと認められる。

よって、右原告太郎及び同花子の被った各精神的苦痛に対する慰謝料は、各五〇〇万円をもって相当と認める。

(3) 合計

原告太郎 二四三六万二〇九二円

原告花子 五〇〇万円

(三) 原告一郎の損害

《証拠省略》によれば、原告一郎は、本件事故当時、東京都内で会社員として勤務していたが、原告二郎の入院治療中、同原告の兄として、会社を休職し、原告花子と共に介護に当たるうち、右の休職が原因で右会社を解雇されたことが認められるところ、かかる事情に照らせば、原告一郎についての本件事故による精神的苦痛を理由とする慰謝料は、五〇万円が相当である。

(四) 損益相殺

弁論の全趣旨によれば、原告二郎は、高校の課外クラブ活動で受けた障害に対するものとして、特殊法人日本体育・学校健康センターから、別紙「A野二郎医療費支給額」のとおり、医療費として二五一万一九三三円と本件後遺障害に対する見舞金として二二九〇万円の合計二五四一万一九三三円の支給を受けていることが認められるところ、これらの各給付はいずれも本訴請求に係る逸失利益ないし介護費と同一の性質を有し、相互補完の関係にあると解されるから、これを同原告の損害額(逸失利益及び介護費)から損益相殺として控除するのが相当である(最高裁判所昭和六二年七月一〇日第二小法廷判決・民集四一巻五号一二〇二頁参照。なお、右二五四一万一九三三円の給付は、被告による一部弁済とは同視できないところである。)。

そうすると、右二五四一万一九三三円を控除した後の原告二郎の損害残額は、一億一八五五万七七五九円となる。

(五) 被告が負担すべき損害額

(1) 前記7(四)(2)イで判断したとおり、本件において被告が負担すべき損害賠償義務は、原告らの被った各損害のうちの二割にとどまるものである。

したがって、被告が負担すべき損害額は、原告二郎に対し二三七一万一五五一円、同太郎に対し四八七万二四一八円、同花子に対し一〇〇万円、同一郎に対し一〇万円となる。

(2) ところで、当裁判所が職務上知り得たところによれば、原告らと分離前相被告医療法人社団曙会、同佐々木俊夫及び同佐々木薫とは、平成一〇年九月一日の和解期日において、裁判上の和解をし、これに基づく和解金が、分離前相被告らから原告らに対し払われていることが認められる。

しかし、右和解金は、前記7(四)(2)アで認定した井上助手の過失より前における佐々木医師の原告二郎に対する診療上の処置の際の不適切な点によって生じた原告らの損害を念頭に置き、それを前提として支払われたことが明らかであるので、右和解金を、被告から原告らに対する損害賠償金として充当するのは相当でなく、したがって、これをもって、被告との関係での弁済としては扱い得ないというべきである。

(4) 弁護士費用

本件訴訟の経緯、事案の離易度、その認容額その他諸般の事情を考慮すると、右各損害ないし損害残額のそれぞれ約五パーセントに当たる各金額をもって、本件事故と相当因果関係を有する各弁護士費用相当の損害と認められる。

かくして、右各弁護士費用は、原告二郎の関係では一一八万円、原告太郎の関係では二四万円、原告花子の関係では五万円、原告一郎の関係では五〇〇〇円となる。

三  如上検討したところによれば、被告は、原告二郎に対し二四八九万一五五一円、原告太郎に対し五一一万二四一八円、原告花子に対し一〇五万円、原告一郎に対し一〇万五〇〇〇円の各損害賠償義務を負っていることになる。

第四結論

以上の次第であるから、原告らの本訴各請求は、被告に対し、原告二郎につき二四八九万一五五一円、原告太郎につき五一一万二四一八円、原告花子につき一〇五万円、原告一郎につき一〇万五〇〇〇円、及びこれらに対するいずれも本件事故の日である平成六年九月二四日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の本訴各請求はいずれも理由がないのでこれらを棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法六一条、六四条、六五条一項を、仮執行の宣言について同法二五九条一項を各適用し、被告のなした、仮執行の効力の発生を判決言渡しの日から一週間を経過した時点とするとともに、担保を条件として仮執行免脱宣言をなす旨の各申立ては、いずれも相当でないのでこれらを却下することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石村太郎 裁判官 向野剛 上田洋幸)

<以下省略>

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